白石EDの必要性

らき☆すた24話が放送されて、色んなところで感想が上がってますね。
どの感想も「白石自重」と言うことになってますが、僕は白石EDがあったからこそ、「らき☆すた」は締めくくれてたんじゃないかなぁと思います。
そもそも「らき☆すた」という作品は「永遠の日常」を描いた作品です。
もちろん卒業すると言うことを臭わせてはいて、学年もきちんと上がっている。
だけど、この物語は終わることがないんです。
なぜか?目的意識が欠如していて、人間関係に目的=目指すべきところ、つまりゴールがないからです。
ゴールがないと言うことは終わりようがない。
なので永遠の日常なのです。

では愛はブーメランにはどういう意味があるかというと、それはこの曲が使われた「うる星やつら ビューティフルドリーマー」にあるのです。

ビューティフルドリーマー」と言えば原作の「うる星やつら」の「毎日が文化祭」的な楽しい心地よい「理想化された世界/ユートピア」に対して、「責任とってね」という名ゼリフに代表される強力なアンチテーゼが含まれている傑作であり、問題作だ。


「らき☆すた」のエンディングが「愛はブーメラン」だった件について

この記事を書いたキタサカエ帳さんも言っているとおり、ビューティフルドリーマーユートピア、つまりは楽園を否定する物語。
そしてビューティフルドリーマーの主題歌は「愛はブーメラン」。
愛はブーメランをあそこで流したのは、ビューティフルドリーマーを連想させるためだったのではないでしょうか。

ではそれをなぜ白石に歌わせる必要があったのか。というと、らき☆すたっぽくするためだったんじゃないかなぁ。

なんとなくミクシィで書いたことを発掘して書いてみた。